「あなたは愛する人を救えますか」
河村循環器病クリニック 院長
河村剛史

  Vol.10:仮設住宅に昔の人情長屋を見た

  1997年4月,貝原知事の特命を受け,県立健康センターが中心となって仮設住民を対象に健康づくり支援事業「元気は命の輝き,あなたもラジオ体操を」がスタートした.これは単に運動不足の解消の為だけではなく,仮設住宅における孤独死対策の取り組みある.誰でも知っている昔なつかしいラジオ体操で閉じ込もりがちな独居者に健康であった頃を思い出してもらい,近所の住人とのコミュニケーションの場を提供することが目的であった.
  震災後,被災者の心のケアの問題としてPTSD(心的外傷後ストレス障害)が注目されたが,“閉じ込もり症候群”ともいうべき独居者の孤独死が新たな社会問題として登場した.孤独死は震災で家族を失い,生きる支えを失った独居者が仮設住宅という新たな環境で社会的孤立感を深めた結果であり,自立復興が叫ばれる中,それぞれの家族がまず自分たちの生きることを考えるのが精一杯で,他人のことを考える余裕などなかった周辺環境が多くの孤独死を生む結果となったと考えた.
  思い起こすに震災直後の避難所には,すばらしい人間社会があった.瓦礫に埋もれ,救出された人々がいかに偶然に生じた空間で救われたかという話を聞くにつけ,また,自分自身も含め誰でも命を失う機会があったことを考えるにつけ,今,生きていることは偶然なのだと思える共有感が芽生えた.お互いに命が助かったと思う感謝の気持ちを話し合える幸せが避難所に満ちあふれていた.
  しかし,時がたつにつれこうした「お互い様」の精神は薄らいでいき,まず自分のことを考える,まず家族のことを考える個人主義が台頭してきた.行政の支援も多くのボランティア支援も対被災者,対仮設住人であって,被災者相互の助け合いの機運の熟成,別の言い方をすれば“昔のお隣さん”がより集まった仮設住宅の地域づくり(コミュニティづくり)を支援するものではなかった.その後,260カ所の仮設住宅には,ふれあいセンターを中心とした自治会組織が結成されたが,もともと避難所から無秩序に入居させられた人々であり,その上,経済的自立可能な人々,困難な人々,高齢者,家族の支えを失った独居者などその構成メンバーがバラバラで自治会が軌道に乗るには大変難しい面があった.
  しかし,震災後2年経った頃から仮設住宅環境も,大きく変わった.自力で自宅再建した住人が抜けて,恒久住宅を待っている同じ立場の住人の構成になったこと,仮設住民間の顔馴染みが増えてきたこと,仮設生活の中で心のゆとりが出てきて,孤独死問題にも目を向けるようになったこと,また,自治会の役員改正にて,以前から被災者ボランティアをしていた方々や,自分たちの力で今,何をすべきかの信念を持った献身的リーダが自治会の運営に取り組み出したことなどであった.
  当時,大阪府内,姫路,加古川,芦屋,神戸などの私の訪問した30カ所の仮設住宅の印象は,今,皆が忘れている,挨拶もあり,世話役がいて,お節介おばさんのいる昔の“人情長屋”であった.震災で死ぬ思いをした被災者自身がお互いに助け合い,閉じこもりがちな独居者に辛抱強く声をかけ,共に生きていく仲間として孤独死させない,人情長屋の住人たちが支えあう地域づくりを感じた.震災で家を失い,家族をも失い,死ぬ思いをした住人の集まった仮設住宅にお互いの命を支えあう地域づくりが生まれていることを感じた.これこそ,今後の超高齢社会において,閉じ込もりがち独居高齢者をなくす地域づくりとして社会全体が取り組むべき原点であると感じた.私自身,震災を通して、都市住宅の地域住民同士がお互いに語りあえる町づくりこそ,「お互いの命を支える社会づくり」の第一歩であるという思いを強くした.
  震災後5年が経過し、仮設住宅の跡地は整備さえ、昔,ここに多くの仮設住民が住んでいた名残もなくなっている。現在,火山活動中の有珠山の被災者は同じ町の住民であり、仮設住宅であっても「現在の人情長屋」となり、孤独死の問題は生じることはないと思う.

 続く


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