「あなたは愛する人を救えますか」
河村循環器病クリニック 院長
河村剛史

Vol.11:ラジオ体操は,お互いの命を支える地域づくり

  仮設住宅には,震災で家族を失い,職を失い,生きる力も失いかけている独居住人が大勢住んでいた.彼らは“閉じこもり症候群”とも言われ,まわりの人々とのつき合いを拒み,いろんな呼びかけにも応じない,別の言い方をすれば社会的関係を拒絶した仮設住宅の住人である.孤独死は,仮設住宅から生まれた言葉で,以前にも1人住まいの独居住人が亡くなってから発見されることがあった.しかし,仮設 住宅は皆,震災で死ぬ思いをし,一度は生きている喜びを感じた同じ思いの被災者が住んでいる所である.だからこそ,避難所の体育館のフロアの上で何10世帯の家族が助け合いながら生活できたのである.ゆえに,仮設住宅で人知れず息を引き取り,亡くなったことも周りの人が気付かない孤独死があることが問題なのである.
  私は13年前から兵庫県において心肺蘇生法の啓発普及活動を行っているが,目の前で人が倒れても,声もかけず,周りから見ているだけの社会に対する啓蒙と思っている.「あなたは愛する人を救えますか」のアピールは,単に突然死患者の救命率を上げるためだけでなく,「目の前で突然,人が倒れたならば,あなたは何が出来ますか」の問いかけであった.お互いが干渉しない社会というよりもむしろ無関心社会といった方がよい現状の中で,家族愛を通してお互いの命を守ることの大切さを意識させることが最後の,最良の手段と考えたからであった.たとえ,目の前で突然,倒れた人が,見知らぬ人であっても,「どうした,大丈夫か,救急車を呼んで」と声をかけ,大声で叫べるひとが兵庫県に100万人いれば,兵庫県は素晴らしい県になると信じているからである.また,私は1人で死んで行く人間の寂しさを知っているからである.
  平成7年1月17日の阪神・淡路大震災で自らが被災し,この時はじめて人間社会の素晴らしさを実感し,もう一度人間を信じてみようと思い直した.災害現場では周辺住民が一致団結して倒壊家屋の中から多くの人々を救出した光景がいたるところで見られた.6500人を越える死者を出した大震災の場で,「お互いの命を守る」という人間共同社会の原則が未だ息づいていたことに深く感動を覚えた.お互いの命を守りあい,お互いに助け合うことが人間愛であり,また日頃からの近所付き合い,毎日の挨拶が隣人愛であることも震災の実体験の中で感じたことであった.
  ブラジルのサントスの浜辺で,日系人が始めたNHKのラジオ体操が非日系ブラジル人の間でも流行しているニュースを聞いた.サンパウロ市でも毎朝,いたるところ行われているとのことであった.ラジオ体操の歴史は古く,大正時代から国民体操として始まり,現在にまで続いている.現在の仮設住宅には高齢者が多く,ラジオ体操に昔なつかしさを感じる人が多い.「生きること」とは単に息をして生かされていることでなく,自分の意志で身体を動かす誰にでも見える行為がなければならない.たとえ病気があろうとも,身体に不自由があろうとも,身体を動かす努力が,生きている証であり,元気を取り戻す第一歩なのである.
  ある仮設住宅のふれあいセンターで,「私は,この仮設から孤独死だけは出さないように努力している.最後の一人になるまで頑張るつもりだ」と思いを語ってくれた自治会長が,「実は今日,恒久住宅に移った元の住人がお菓子を持って来て,この仮設に住んでいた時の方が良かったと言ってくれました」と笑みを浮かべて言った時,私は「会長,何よりも一番報われる言葉ですね」と言葉を返しながら,お互いに涙を必死にこらえようとしている二人の姿がそこにあった.
  仮設住宅での孤独死対策として,各棟ごとに棟長を決め,毎日,声をかけて様子がおかしければすぐに警察に連絡する体制をとっていると答えた所がある.責任義務としての安否確認では,閉じ込もり住人に生きる力を与えることにはならない.
  閉ざされた心を開かせるコミュニケーションとは,個人対個人ではなく,個人対複数あるいは多数の間でのふれあいの働きかけが必要である.これには,住民全体が一体となって閉じ込もり住人のまず一人を“お隣さん”に引き入れる同じ住人自身による辛抱強い取り組みが残された最後の手段と思う.恒久住宅にすべての仮説住民が移った現在でも、ラジオ体操が心のケアの新たな呼びかけになること願っている.

 続く
 


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