「あなたは愛する人を救えますか」
河村循環器病クリニック 院長
河村剛史

Vol.12:新興住宅地の地域づくりはまず家族の絆から

  阪神・淡路大震災後に建設された仮設住宅は,新興住宅地の建設予定地に立てられており,仮設住宅の周りは一戸建ち住宅,高層住宅に取り囲まれた所が多かった。周辺にはスーパーマーケットもあり,生活するには不便な所ではない.しかし,最近できた新興住宅地の特徴として,現在の無関心世代の住人が集まっており,地域づくりの難しい地域となっている.こうした地域にある仮設住宅は,道路一つ隔てた周辺から孤立しているだけでなく,むしろ近づいては行けない所との住民意識さえある.「関係ないと思う心に差別の芽」の標語ではないが,仮設住民はすでに周辺住民から無意識のうちに差別を受けている所もあった.
  平成9年6月に神戸市須磨区友が丘で起こった淳君殺人事件も,その数カ月前の小学生通り魔殺人もこうした新興住宅地で起こった事件である.子供に害を加える悪い人はいないと思いこんでいた住人には大きなショックであった.劣悪な殺人犯から子供の命を守るため警察の警戒パトロールの強化だけでなく,地区自治会が「自分たちの命は自分たちで守ろう」と立ち上がり,地区周辺の自主的な見回りを開始した.また,子供には防犯ベルを胸に掛けさせ,ベルがなったら周辺住民が駆けつける事を呼びかけた.これは,地域住民が子供の命の危険を感じて動いた結果であり,集団的危機に対する人間の当然の行動ともいえる.
  しかし,心肺蘇生法は,誰も命の危険を感じていない中で,突然,人が倒れる個人的危機の対処法である.まず,大声で助けを呼び,倒れた人の危機を知らさなければならない.この時,「どうした」と駆けつける近所の人々の助けが必要である.地域づくりには,この個人的危機が救える体制づくりがまず必要である.
  友が丘での一連の殺人・傷害事件が14歳の少年による犯罪であることが判明し,日本全国に衝撃が走った.連日の新聞報道にて社会環境,学校環境,家庭環境に原因を求める解説が掲載されていたが,一方では,自分の犯した一連の犯罪を隠すことなく淡々と供述する少年の心理は幼稚すぎて,むしろ非常な恐怖感を覚えた.
  アメリカでは,中学一年生の保健体育の授業で心肺蘇生法を教えている.「目の前で人が突然倒れたなら,すぐに意識の確認をして,意識が無ければ大声で助けを呼び,救急車を呼びなさい」と教えており,「意識と命」という極めて単純な判断基準を示して「命の教育」を行っている.同時に中学生に個人の判断で救急車という公共機関を呼ぶことができる社会的責任を与えていることに改めて深い感銘を覚える.
  フォーカスに少年の写真が掲載された時,日本では人権問題であると批判がなされたが,人権の国アメリカでは,既に命の教育がなされている14歳の人間は社会的責任を負わされており,名前と写真が公表されるのは当然と考えられている.日本では,「命の教育」はいつ,どの様に子供に教育されているのか全く曖昧である.
  友が丘周辺自治会が自主警戒体制を取っている最中の平成9年6月8日に,西区学園東町7丁目自治会で心肺蘇生法の講習会を行った.この講習会の特徴は,自治会が親子連れの参加を呼びかけたことにある.訓練人形を相手にお互いの名前を呼ぶ夫婦,それをじっと見ている子供の姿があった.常日頃,心肺蘇生法の講習は小学校6年生程度にならなければ無理と思っていた.参加していた小学校2,3年生の子供に練習してみるかと誘ったら,なんと一生懸命に親のまねをして練習し,会場を走っていた子供も全員参加した講習会が誕生した.母親の膝に座っていた2歳の女の子もじっと見つめ,自分の手を胸に当ててまねをするかわいい姿もあった.まさに「命の教育」とは「命を助ける行為」を教える,知性でなく感性の教育である.
  家族の絆は,お互いの命を守ろうとする家族愛に基づいたものでなければならない.親から子,子から孫への命の流れ(血族)とお互いの命を守る絶対的信頼が家族の絆となる.日本では,まず家族愛に訴え,隣人愛,友人愛,職場愛,社会愛,人間愛に高めていくことが今後,求められる地域づくりにつながると思う.

 続く
 


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