「あなたは愛する人を救えますか」
河村循環器病クリニック 院長
河村剛史

Vol.14:「なぜ、人を殺してはいけないのですか」

  以前に、心臓病の生徒の命を守るために、学校全体が立ち上がった中学校を紹介した。その学校の名前は相生市立双葉中学校である。1995年に始めた新入生を対象に行う心肺蘇生法は毎年の恒例行事になり、今では3年生が1年生を教える伝統が生まれてきている。今年も一年生の心肺蘇生法講習会「双葉の仲間を救う会」に参加した。
  最初の一時間は全校生徒の前で各学年からの質問に答える形で話をした。17歳の少年のバスハイジャック殺人事件、通りがかりの家での老婦人殺人事件などの少年凶悪殺人事件が次々と起こっている時期だったので、単刀直入に「現在の少年の凶悪犯罪についてどう思いますか」「なぜ、人を殺してはいけないのか」との質問を受けた。私の小学校時代を振り返れば、筆箱の中には?肥後の守?という小刀をいれて、鉛筆削りに使っていた。時には、山に行って小枝や竹を切って遊び 道具を作って友達と遊んだ経験がある。喧嘩をするときは、木の棒で相手を叩いてけがをさせた思い出もある。しかし、どんな憎い相手でも小刀を使って相手を傷つける発想はなかった。子供の喧嘩も遊びの延長であった気がする。
  この世に生を受けた人間には自我の芽生えに始まり、自己形成時期を得て、「自分とは何者か」を知る「個の完成」を得るのである。赤ん坊がお腹がすいたと泣き出すのも自我の芽生えである。親、家族の絶対愛により無条件で守られていた環境から、保育園、幼稚園と新しい環境の中で、他人を意識することにより「他人でない自分」という自己の存在を認識するのである。学校生活は、まさに他人との関わりの中で築き上げていく自己形成の重要な時期なのである。自分の意見を主張することも、他人に負けたくないと競争心を持つことも、「他人ではない自分」を作る心の活動表現なのである。
  今、多発している少年の凶悪犯罪には、「世の中をあっと言わせることをしたい」「人を殺す経験をしたかった」という犯罪者の言葉の中に、自分の自我のみがまかり通る家庭環境から一歩も外に出ることができず、他人との関わりを避けようとする社会的に孤立した少年の環境が浮かび上がってくる。これは現在の少子化とも無縁でなく、1世代まえのベビーブーム時代のような兄弟喧嘩もなく、親の溺愛を受けた子供には、他人との関わり方のすべを知らず、次第に離れた存在になって来る。こうした環境の中で、他人を意識できない「自己中心」の少年が生まれ来るのである。
  中学校は自己形成のもっとも大切な時期で、中学教師こそはこれからの社会を担う次世代の少年に「命の教育」を教える責任をもっと自覚すべきである。現在の教育に問題があるとすれば、この一点に尽きると思う。今まで400校近くの学校訪問をして多くの先生に会ったが、「命を感じる」教師があまりにも少ないことに、事の重大性を感じる。
  中学生から「なぜ、人を殺してはいけないか」の質問の答えは、「目の前に友達が倒れたら、友達の命を救うために大声で助けてと叫ぶことが出来る人には、人は殺せない」と答えた。心肺蘇生法にて人の命を救う方法を教えることが、「命の教育」の第一歩なのである。質問形式の講演の後、3年生40人が2人ペアーになって20体の人形を使って1年生200人に心肺蘇生法を教えた。上級生が下級生に心肺蘇生法を教える光景は、どの講習会よりも統制がとれた、効率的な、しかも楽しいものであった。最後に円陣の真中に訓練人形を一体置き、「友達が倒れた。さあ、友達を救うのは誰か」との呼びかに、先を争って飛び込んでくる1年生の姿に明るい社会の希望が見えた。講演者が一番幸せを感じる瞬間である。
  1998年から相生市の教育委員会は、中学校全4校の生徒に心肺蘇生法の講習を行う事を決定した。一年生入学時に心停止したM君も無事、中学を卒業し、同じ市内の高等学校に入学したが、一年生の運動会の時に、再度心停止が見られ、見事に心肺蘇生法にて救命することが出来た。相生市では、中学校、高等学校、自動車学校で心肺蘇生法の講習を受けることになる。中学校での「命の教育」としての心肺蘇生法の講習を受けた次世代の若い相生市民が、これからもM君が命を守ってくれると信じている。

 続く

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