平成12年9月15日から第27回オリンピック・シドニー大会がスタートし、日本国民はいくつメダルが取れるか候補選手に期待を寄せる。まさにオリンピックは国別のメダル数を争う4年に一度の世界のスポーツイベントになっている。
近代オリンピックの創始者であるフランスのクーベルタン男爵は、当時のフランスの学校教育が知識学習に偏りすぎていたため、イギリスの「フェアプレー精神」を手本に、スポーツを通して青少年の健全な体と心の資質を育成しようと考えたのである。このスポーツによる青少年教育の実現が、1896年の第一回アテネ大会につながったのである。
クーベルタン男爵がもう1つの手本としたのが古代ギリシャで4年に一度の周期で行われていた「オリンピアの祭典」であった。皮肉にも古代オリンピックは国を代表するプロ選手の戦いであり、選手はオリンピアで優勝すれば莫大な賞金と地位と名誉を手に入れることが出来た。現在でも同じ状況がみられ、国家政策として選手を養成し、メダル獲得者には報奨金や特権を与える国が多く、過去には旧東ドイツのように薬物による筋肉強化、ドーピングなどによりメダル獲得選手を製造し、選手の命を犠牲にしてまでもメダル獲得のトップを走っていた歴史もあった。オリンピック憲章9条には「オリンピックは個人、チーム間の競技であって、国家間の競技ではない」と定められているが、現在の状況はまさに有名無実である。
フェアプレー精神を持った世界に誇るスポーツ選手の一人に、日本のテニスプレーヤーの清水善造選手がいる。ウインブルドン全英選手権の個人戦の決勝で当時、世界ナンバーワンであったアメリカのチルデン選手と互角で戦い、フルセットのマッチポイントで、あと1ポイントで優勝である場面で、チルデン選手が返球の際に転倒し、誰もが「清水選手の優勝だ」と思った時に、何と清水選手は緩やかなボールを返したのである。再度、 接戦の末、チルデン選手が優勝したが、「敗れても敗者ではない」選手としてスポーツ史上のフェアプレー伝説となった。
「フェアープレー精神」とは、対等の立場で勝負することであり、極限の状態においても相手の状況を正確に捉え判断できる冷静沈着な精神が求められる。確かにスポーツは人間の闘争本能の戦いであるが、命を失ってまでも行うスポーツは存在しない。イギリスで生まれたサッカー、ラクビー、ボクシングには選手の安全を守るルールがある。オリンピックの花と言われるマラソンは、紀元前490年にアテネ軍がペルシャ軍をマラトン(英語読みではマラソン)の野で破った史実をもとに第一回アテネ大会で始められたのである。マラトンからアテネまで勝利を知らせるために走った男は、「喜べ、勝った」と叫んで死んだとことはあまり知られていない。
1999年6月15日にヒューストンのアストロドームで行われたアストロズ対パドレスの野球試合において、8回表にアストロズのダーカー監督が心筋梗塞で突然倒れ、救急車が試合会場に入り救命処置がなされた。この日の試合は8回で中断し、23日に8回から試合が再開されることになったが、何万人もの観客が納得して帰っていくことにも驚きを覚えた。1986年1月22日のバレーボール試合においてハイマン選手が倒れた時、試合は中断されることなく、会場から担架で運び出される日本とは大違いである。この中で、主砲のバグウェル選手が発言した「われわれはプレーするためにここにいるが、ベースボールよりも大事なことがある」は、アメリカ人の国民性を示すすばらしい言葉であった。
心肺蘇生法は、相手の危機を察知した時、間髪を入れずに救いの手を差し伸べる反射的な行為であり、そこには利害や勝敗を超えたお互いの「命の尊厳」を守る社会理念が存在するのである。清水選手が何故、あの1球を打ち込めなかったかは、以前からチルデン選手との交友関係があったためと思っていたが、チルデン選手が倒れた瞬間に「大丈夫か」と思った反射的行為であったのではないかと思う。フェアプレー精神は心肺蘇生の心である。
続く
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