「あなたは愛する人を救えますか」
河村循環器病クリニック 院長
河村剛史

Vol.18:健康づくりは、人づくり

  私はアメリカ留学中の1986年1月23日に経験したフロー・ハイマン選手の突然死のテレビニュースを見るまでは「命を感じる」という感覚はなかった。松江でのバレーボールの試合中にダイエーのフロー・ハイマン選手が控えのベンチの前で突然倒れ、試合が中断されることなく担架にて場外に運び出される光景が放送された時、同じテレビを見ていた多くのアメリカの友人が「なぜ日本人は心肺蘇生法をしないのか」と叫んだ感性が理解できなかった。
  当時アメリカ人にとって目の前に人が突然倒れた時、すぐさま「大丈夫ですか」と声をかけ、意識がなければすぐさま救急車を呼ぶ心肺蘇生法の手順は当たり前の行為でした。この経験が帰国後に現在まで心肺蘇生法の啓発普及を行っている理由です。日本での心肺蘇生法の普及啓発活動を通じてその普及を妨げているものは,「他人の命」のみならず「自分の命」をも感じない日本人の感受性の欠如ではないかと思うようになった。「大丈夫ですか」と声をかける行為は、命を感じない人にはできない行為です。
  1985年に制定された兵庫県民憲章には「健康は自分が進んで守り、高めるという自覚を持とう」と書かれていますが、健康を意識しない人には関係ないことです。ここに健康づくりの啓発運動の難しさが存在する。健康であることは、生かされている自己の存在を意識し、日々の生きる喜びを感じる心の状態であり、病気であっても、死ぬ時であっても、最後の瞬間まで生きぬく生命力です。
  比叡山延暦寺にて千日回峰行を修めた阿闍梨(あじゃり)の言葉に、「おのれの命を感じる時、生きる喜び」という言葉を聞いたことがある。1日20時間にもおよぶ山中修行中で、意識が朦朧状態になろうとする極限状態において必死に生きようと する自我を意識できたことが「おのれの命」を感じる瞬間であり、今を生きている喜びも感じるのだと思う。「おのれの命」を感じる人には、健康でありたいと願う気持ちが日常生活における健康づくり習慣の原動力であり、日々の生活の中で「今を生きる喜び」が生まれて来るのです。
  2000年4月からは介護保険制度が始まったが、生活習慣病を予防するために「健康日本21」の国民意識啓発運動も同時スタートした。生活習慣病は中高年になって発症するという成人病の考え方から子供の時からの生活習慣が発症原因であり、生活習慣の見直しにより予防可能な病気であるとの考え方に大きく転換された。健康に関する情報は、新聞誌上の定期的な掲載、毎週の健康に関するテレビ番組に溢れており、国民に広く関心を呼んでいる。
  脂肪過多の食生活、運動不足による肥満、喫煙、社会的ストレスなどが生活習慣病の原因になっている程度の医学知識は充分に国民に浸透している。禁煙運動を例の1つにとってみても、誰しも身体に悪いことは知識としては知っていても喫煙習慣が辞められない人に禁煙を強制することはできない。また、病気になっていない人に「運動するように、脂肪過多の食事は避けるように、塩分は控えめに」と生活習慣病予防キャンペーンを行っても大きな効果は期待できない。なぜならば、自分の命は自分のものと思っている人にとって、自分が何をしようと勝手と思っているからです。
  心肺蘇生法の普及啓発運動と同様に、生活習慣病予防啓発運動は、「命の教育」に根ざしたものでなければ真の啓発運動にはならないと思う。単に生活習慣病を予防するための知識ではなく、「なぜ健康でなければならないか」「健康は与えられたものではなく、自らつくるものである」との心の教育こそが重要です。
  健康づくりは、地球にただ1つ存在する命(個人)を認識することであり、健康でありたいと努力する行為こそが、社会における個人のあり方であり、人づくりになると思う。

続く

Copyright(c) Tsuyoshi Kawamura, M.D.