「あなたは愛する人を救えますか」
河村循環器病クリニック 院長
河村剛史

Vol.2:心肺蘇生法は「家族への愛」

  アメリカでは,1970年代の急増する心筋梗塞,狭心症などの虚血性心疾患が原因となった心臓突然死に対する救命救急システムの一環として心肺蘇生法の市民普及が始まった。
  アメリカ心臓病協会は心臓突然死を救命する体制づくりには“救命リレー”の重要性を訴え,迅速な通報,すぐ隣の人による心肺蘇生法の開始,パラメディック(日本では救急救命士)による早期の電気的除細動(電気ショック)の連携プレーにより25%の人を救命出来るようになった.同時に虚血性心疾患の原因となる動脈硬化予防対策として,コレステロール対策,禁煙キャンペーンを国民的規模まで展開している。
  心臓突然死は動脈硬化が心臓の栄養を養っている冠状動脈に起こると血管内腔が狭くなり血液が流れにくくなり,心筋虚血状態になる.時には心筋梗塞,狭心症がおこり,時には心室細動という不整脈の発生により突然死に到る.心臓は全身に血液を送り出すポンプであり,この動力源が電気刺激により興奮,収縮する心臓の筋肉である.通常は1分間80回前後の規則正しい電気刺激(洞調律)により心室からの血液が拍出されるのである。
  心室細動になると,不規則な無数の電気刺激が心室筋内に発生し,心臓がケイレン状態なり,血液を拍出出来ない心停止状態に陥る.この心室細動状態をもとの正常な状態に戻すためには,電気的除細動を早期に行うしか道はないのである.心停止による血液の拍出の停止は,全身の各臓器への酸素供給の停止を意味する.脳組織は血液の途絶により4分で死滅する一番弱い臓器であるのに対して,心臓は30分以内に電気的除細動を行えば心拍の再開が可能な強い臓器である.心室細動による心停止発生後4分以内に心肺蘇生法を開始し,8分以内に電気的除細動を行えれば43%の人が救命できたとの報告もある。
  1987年(昭和63年)9月に帰国し,兵庫県立姫路循環器病センター救命救急センター長として心肺蘇生法の普及を開始したが,「なぜ心肺蘇生法が必要なのか」を訴える“動機付け”には色々と試行錯誤の思い出がある.最初は,医学的見地から「心臓が止まると4分で脳障害が起こります.あわてず,心肺蘇生法を行いながら,救急隊の到着を待ちましょう」とパンフレットに書き,医学的には4分しか猶予がないこと,さらに「45歳以上の男性が,7割が家庭で奥様の目の前で倒れております」と特に家庭の主婦に夫の心臓突然死の危機を訴え,心肺蘇生法を修得する必要性を説いて回った。
  公民館などで一般市民を対象にした講習会では,話を聞くだけで訓練用人形を使った実技では一生懸命に取り組んでいる参加者を回りからただ見ているだけの参加者も多かった.講習会終了後には「こんなに大切なことを教えようとしているのに,なぜやらないのだろう」との思いがいつも心に残った。
  こうしたおり,救命救急センターに搬送されたが救命できなかった45歳の突然死患者の奥様が,駆けつけた救急隊員に「遅いではないか!」と叱りつけた話を聞いた.詳しく聞くと,居間でご主人が突然倒れ,自分には心肺蘇生法が出来ないので一刻も早く救急隊を呼ぼうとしたのに,救急隊の到着が遅かったから主人が亡くなったのだと市役所に抗議の電話をかけてきた.市役所から私に「なぜ4分以内に救急車がこないと助からないと市民に言われるのか,姫路では通報から現場到着までの平均時間は5.7分です」.電話を受けた私も驚いたが,講習会での許容時間4分が一人歩きしていることを知った。
  これを契機に動機付けのアピールを変え,「もし目の前であなたの愛する人が倒れたなら,あなたは愛する人を救えますか」と叫ぶとともに,最も身近な命でさえ他人任せにしている日本の現状を訴えたかった.日本では,まず家族愛に訴え,隣人愛,友人愛,職場愛,社会愛,人間愛に高めていくのが現実的で,アメリカのごとくキリスト教の教えに基づいた人間愛から心肺蘇生法を訴えることは無理だと判断したためである。
  しかしながら,家族愛をいくらアピールしても,命の危機意識のない人には心肺蘇生法は無縁の世界であった.どうすれば命の危機意識が自然の形で日常生活の中に入ることが出来るか,私の前に安全意識に酔いしれている日本人の危機に対する意識革命という大きな課題が立ちふさがっていた。

続く 


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