平成13年1月26日の夜、東京都新宿区のJR新大久保駅で、酒に酔った見ず知らずの男性がホームから転落したのを見て、とっさに助けようとした2人が電車にはねられ3人とも死亡した事故が発生した。男性を助けようとして巻き添えとなった2人は、カメラマンの関根史郎さん(47歳)と韓国人の日本語学校生の李秀賢(イ・スヒョン)さん(26歳)であった。
人を助けようとして死亡した2人の死は、"勇気の死"、"善意の死"として連日、マスコミに報道された。特に、韓国留学生が他国の日本人を助けようと命を落とした行為は日本人に大きな感動を与え、日韓の架け橋になることを夢みていた李さんを日韓友好のシンボルとして報道された。李さんが開設していたホームページには、2万通以上のメールが寄せられ、李さんが通っていた日本語学校にも勇気をほめたたえる多数の手紙が届いた。告別式には森首相はじめとする政府関係者が弔問に訪れ、国会でも取り上げられた。
20世紀最後の年の2000年は、愛知県の主婦刺殺、西鉄高速バス乗っ取り、岡山県の金属バット殴打、暮れには兵庫県三津町で起こったタクシー運転手殺人事件と続き、「17歳の凶行」が社会に深刻な衝撃を広げた年であった。ようやく年が暮れると思っていた27日には東京世田谷区の一家4人の惨殺事件が起こった。2001年の新年を向かえ、今度は成人式で見られた一部の若者の目にあまる傍若無人ぶりに次世代を担う若者に国民が失望感を抱いていた時期にこの事件が起こった。
自己中心主義が蔓延している日本において、人を助けるために死んだ自己犠牲の行為は日本人の多くが忘れかけていた人間愛のすばらしさを呼び起こし、こうした場面に遭遇した時に「自分ならどうする」という自問自答の機会を与えてくれた。この事件後の一週間に、プラットホームに落ちた人を助けた救助の報道が続いたのも不思議ではない。
関根さんと李さんとはその人物像にいくつかの共通点があった。2人とも責任感、正義感がつよく、人が困っていたら見捨てておけないような人であった。関根さんの趣味は、スカイダイビング、登山、スキー、マウンテンバイクなどのアウトドアスポーツで、自然の風景を撮影するため、日本アルプスなどにもよく出かけていた。李さんも富士山をマウンテンバイクで登ったりするアウトドアスポーツ派で、2人とも自然愛好家であった。
自然愛好家には、地球生命体の一つとしておのれの命を感じ、自然の中ではお互いの命を守りあう心が生まれている。自然の中では、見知らぬ同士でも挨拶をする自然の雰囲気がある。2人の行為は、他人の生命の危機に対するとっさの反射的な行動であり、まさに人の命の尊さを知っている「福祉の心」を身に付けた人間の本能的な行動であった。
もし、この事件が山で起こっておれば、より多くの人々が一致団結して救助にあたっていたと思う。残念ながら、都会では2人の勇気ある行動に対して、プラットホームに入ってくる電車を止めに走っていく人も、2人に危険が迫っていることを知らせる人も少なかったのではないだろうか。救助の手を差し伸べて、プラットホームに引き上げようとしなかった多くの傍観者の光景が見えてくるのは残念です。
心肺蘇生法は人間愛に基づいた行為であるからこそ突然、目の前で人が倒れた時、「大丈夫ですか」と声をかける事が選択枝のない絶対的行為なのである。目の前の命を救うのは人間の当然の行為という前提に立っているからである。しかし、救命救助は1人の力により救えるものでなく、周辺の人々の一致した協力があってこそ可能なのである。
続く
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