「あなたは愛する人を救えますか」
河村循環器病クリニック 院長
河村剛史

Vol.22:生きていた阪神・淡路大震災の心
  JR新大久保駅でのホームからの転落事故死は「勇気の死」としてマスコミで大きく報道され、大きな話題になった。今回の神戸で起こった転落救助は地方紙に取り上げられた程度で、大きなニュースにはならなかったが、これこそ今の日本社会に求められている理想の善意の姿である。
  平成13年5月4日の朝、神戸の神戸高速鉄道長田駅で、目の不自由な男性がホームから転落し、居合わせた乗客3人が線路に飛び降りて助け上げた。その直後に電車が到着したが、男性は左足を骨折しただけで助かった。新聞報道によると、転落したのは川西市の男性(59)で、乗り換えのため、つえをつきながらホームを歩いていて誤って1.2メートル下の線路に転落した。 向かいのホームにいた池本悳持(とくじ)さん(66)が、白いつえをつきながらホームの東端へと進む男性を見つけ、「危ないで」と叫んだ直後だった。 池本さんは、ホームにいた男性2人とともに線路に飛び降り、駆け付けた同駅員と4人で男性を引き上げ。 1から2分間の出来事で、3人は面識がなかったが、連係プレーで助け上げた直後に電車が線路内に入ってきた。池本さんが男性を介抱している間に、残りの2人は後続の電車で立ち去ったという。池本さんは「ほっておけなくて思わず飛び降りた。大事に至らずよかった」と話していた。 
  神戸市長田区は平成7年1月17日の阪神・淡路大震災の時に火災が発生し、多くの犠牲者を出した地区である。震災現場では、倒壊した家屋から必死の思いで抜け出した住民同士が瓦礫の下に埋もれ残された家族に必死に声を掛け、声の応答があった人から優先して救出にあたった。こうした震災現場で住民の行為は、「まず助かる人から助け出す」という災害医療での"トリアージ"の概念が自然の形で行われていた。
  別な言葉でいうと、大災害は命の集団的危機であり、その場の限られた力の中では、多くの死に瀕した命の中から助かる可能性のあるものから救助の優先順位を決定せざるを得ないのが現実であった。そして、すべての人が死ぬ思いをした環境下では、すべての人が一致団結して救助する人間の本能的行動が見られた。
  それに反して、心肺蘇生法の世界は、平穏無事な環境の中で、目の前の人が突然倒れるという倒れた人の個人的危機である。心肺蘇生法による救命行為には、単に心肺蘇生法を行うだけでなく、正しく行われているか見守る人、救急車を呼ぶ人、救急車を誘導する人、激励する人など、一人の命を救おうとする多くの人の助けが必要である。その為には、目の前で倒れた人の命の危機を周辺に知らせる人がいるかが命を左右すると言っても過言ではない。事実、目撃者による心肺蘇生法の救命率が一番優れている。心肺蘇生法の話しの中で、私が一番強調している所である。
  今回の転落事故では、池本さんが「危ない」と叫んで、線路に飛び込み、そこに居合わせた2人も救助に協力しており、JR新大久保駅での転落事故とは大いに異なる救助活動である。そこには、「命の危機」の叫びの呼応した人の集団救助活動が見られ、阪神・淡路大震災で「命の危機」を経験した人達の共通の行動心理が働いたものと考えている。救助協力した2人は、面識もなく、「当然の行為をしたまで」と言わんばかりに名も告げず次の電車で立ち去ったことも、心肺蘇生法の心の啓発活動をしている私に大きな活力を与えてくれた。
  JR新大久保駅で関根史郎さんと韓国人の李秀賢さんの見知らぬ2人を救助活動に駆り立てたのは「山男の心」であると述べたが、今回の救助活動は、阪神・淡路大震災で「命の危機」を経験した人達が行った行動であり、神戸市長田区に今だ生きている「阪神・淡路大震災の心」と思っている。

 続く


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