「あなたは愛する人を救えますか」
河村循環器病クリニック 院長
河村剛史

Vol.25:危機管理、心と心を結ぶもの
  9月1日は防災の日である。78年前のこの日に14万人が亡くなった関東大震災が発生した。阪神淡路大震災では震災に対する危機管理体制の不備が問われ、それを契機に各自治体における危機管理体制の見直しがなされた。次は東海・南関東直下型地震マグネチュード8を想定した危機管理体制の万全性が試されている。
  平成13年7月21日夜の花火見物に押しかけた明石市JR朝霧駅前の横断歩道橋で起こった明石歩道橋事故は、歩道橋に6,000人が一度に殺到し、11人の圧迫死者、負傷者139人を出す大惨事となった。事故直後には、無謀な若者が煽り立てた群集パニックが原因と報道された。その後、警備を受け持った民間警備会社が責任回避のために虚偽の報告をしたことや、警察が事態の重大性を把握できなかった危機意識の甘さ、事故発生後の救急体制の遅れなど次々と明るみになった。
  今回の事故の特異的な点は、明石市役所や明石警察署および警備会社に対して危機管理体制の不備による業務上過失致死傷の責任が追及されていることで、危険回避が可能な複合人災であった。阪神淡路大震災の教訓が生かされていなかったことに日本人の安全管理と危機管理に対する基本的な意識の欠如を感じる。
  この事件のもう一つの際立っていたものは、極限状態に置かれた人間が自分を守ろうとする自己防衛だけではなく、弱い幼児、子供、老人を守ろうとする人間同士の助け合いの姿であった。当初、無謀な若者と報道されていた真実の姿は、橋の屋根格子に登って助けを求めたり、群集を誘導したり、息が出来なくなりぐったりとした子供を引き上げたりした善意の行動であってパニックを煽ったものではなかった。人間の超過密による酸素欠乏状態が起こり、意識が遠のいて行く中、周りからの圧迫から子供を必死でかばおうとしていた人、赤ちゃんを高く持ち上げた人、ほとんど身動きが取れない中、亡くなる直前まで近くにいた生後2カ月の男児を必死に守っていた71歳の女性などの姿があった。救急車が到着するまでの間、多くの市民が自主的に人工呼吸や心臓マッサージを懸命に行う光景が随所で見られた。居合わせた医師も加わっての応急措置で一命を取り止めた幼い子供もいた。
  イベント時の観客の命を守るには、安全管理体制と危機管理体制の両面が必要である。日本では危機管理という言葉は阪神淡路大震災の頃からよく言われるようになった。今回の事故をみると、不備ではあったが事前に協議されたのは事故防止のための警備(安全管理)体制のみで、事故発生を想定した危機管理体制はなかった。常設の救護センターにいたのは、看護婦一人で、市消防との具体的な協議はなく
、 現場に待機していたのは花火による火災警戒での消防車と工作車を配置しただけで、救急車はなかったことからも明らかである。まだ、事故発生から負傷者の通報がありながら、20分間も情報確認に手間取り、救急車が現場到着したのは事故発生から40分も経過しており、救急初動にも問題があった。
  心肺蘇生法は命の危機管理教育で、目の前で突然人が倒れた時、まず何をすべきかのすべての人に共通の救命行動マニュアルなのである。心肺蘇生法による救命行為には、単に心肺蘇生法を行うだけでなく、正しく行われているか見守る人、救急車を呼ぶ人、救急車を誘導する人、激励する人など、一人の命を救おうとする多くの人の助けが必要である。
  阪神・淡路大震災を経験した消防の救急隊員が絶句するほどの混乱の中で、呼吸停止、心肺停止した幼児や子供に対して多くの一般市民が迷わず心肺蘇生法を行った救命活動の姿が群集のパニック心理を治め、さらなる混乱を静めたものと思う。人間の危機に際し、心肺蘇生法は見知らぬ人同士を"救命の心"でつながった"心の架け橋"であり、瞬時に大きな力の結集を呼び起こした。

 続く

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