最近は10月の労働安全週間の講演を依頼されることが多くなった。以前に大手電機メーカの保健管理センターの保健婦から聞いた話だが、たまたま同じ職場で3回救急車の出動を依頼することになったが、いずれも急変者は結果的には緊急を要するほどの重症な病気でなかった。後日、職場管理者から作業工程ラインが止まり、作業効率が落ちるからもっと慎重に判断して救急車を呼ぶように注意を受けたとの話だった。
今回の安全管理についての講演は、この時悔し涙を流した保健婦のたっての希望で実現したもので、どのような職場環境かを実際の目で確かめたいと思っていた企業であった。ちょうど昼時にこの工場を訪問したが、驚いたことに多くの従業員が外で食後の喫煙をしている風景に遭遇した。建物内の掲示板には、製品精度の向上のポスターが目に付いた。
従業員の安全管理には、危険防止管理と健康管理がある。職場管理者は、ともすれば作業効率と製品精度を向上させることに気を取られ、安全管理に関しては形式的な取り組みになりがちである。事故が起こるまでは安全と考えがちである。作業中に体の調子が悪くなり、作業工程ラインを一時的に停止したことは企業にとって大きな損失である。しかし、作業中に身体の不調を仲間に早い目に訴えることが出来なかった職場環境も問題であるが、従業員自身の健康管理の甘さも問題である。職場の環境づくりには、「お互いの命を守る」共通認識が作業効率向上よりも優先すべきものである。職場管理者は、従業員の身体の調子に注意を払い、様子が変であると感じた時は積極的に声をかけることが大切である。この職場管理者の姿勢が、従業員の自己健康管理の意識づけになり、お互いの健康状態を気遣う職場環境が生まれるものと思う。従業員が絶好の身体のコンディションで作業に集中してこそ、最高の作業効率が得られるものである。
職場単位で全員が一同に会して心肺蘇生法の講習を行うことは、「お互いの命を守る職場づくり」の最も有効な手段である。「目の前で仲間が倒れた時、すぐさま意識の確認を行い、意識がなければ、すぐさま救急車を呼ぶこと」を仲間同士の共通認識としてお互いに確認することが重要である。
1986年1月22日に松江のバレーボールの試合中に突然死したフロー・ハイマン選手がベンチの前で倒れている中、平然と試合が行われていたテレビニュースの光景は、作業工程ラインが動いている中で倒れた作業員の運命と重なり合う。講習会で訓練人形を囲み大きな輪になって、順番に大きな声で「大丈夫ですか」と声を出す雰囲気を経験することが大きな意味がある。
大企業においても、まず、小さな職場単位での心肺蘇生法の講習の実践行動が、やがては企業全体の流れになるものと信じている。日頃から、お互いの健康を気遣う職場環境作りが、お互いの命を支えあう仲間意識の芽生えであり、職場の中での孤立感から来るストレスを減らすこともなる。働き盛りの中高年者の自殺者が年間3万1千人に達しており、お互いの命を感じない無関心な職場こそが問題である。
現在の日本社会に蔓延しつつある「無関心病」を治療するには、心肺蘇生法を「命の教育」として中学校教育に取り入れることが残された有効な治療法である。社会がこの病魔に気づき、治療に取り組む流れを作るには、まず、家族の命は家族が守る「家族愛」があり、次に職場の仲間は仲間が守る「職場愛」があればこそ、「あなたは愛する人を救えますか」と広く社会に人間愛を訴えることが出来る。われわれ、一人一人の日頃の実践行動が社会を変えていく原動力になるのである。
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