「あなたは愛する人を救えますか」
河村循環器病クリニック 院長
河村剛史

Vol.3:心肺蘇生法は「命の危機管理教育」

  兵庫県と姉妹関係にあるワシントン州にあり,神戸市とは姉妹都市の関係にあるシアトル市は,「心臓発作で倒れるならシアトル市で」とまで言われ,世界一救命救急体制が整っている都市である.1970年から中学校(ミドルスクール)の保健体育の授業で心肺蘇生法を教えており,市民の7割が心肺蘇生法を修得していると言われている.
  あるミドルスクールを訪問し,体育館で行っていた実際の講習風景を見学した.まず保健体育の先生が生徒に突然死について簡単な説明をした.「45歳以上の君達のお父さんに突然死の危険性がある」,「7割が家庭で君達の目の前で起こる」,さらに「この原因がタバコ,コレステロールによって引き起こされる虚血性心疾患である」,「タバコを吸うなら,このことを十分知って吸いなさい」などと語っていた.実技練習に移っても,特に緊張しているわけでもなく,一部の生徒は体育館内のバスケをしている生徒もいたくらいである.次々と機械的に心肺蘇生法の手順を教えて,生徒が出来ようが出来まいが関係ないといった印象を持った.
  「目の目で人が倒れたらどうする」が前提として,まず意識の確認,意識がなければ大声で助けを求める.気道を確保して,呼吸がなければ人工呼吸.頚動脈の拍動がなければ心臓マッサージの手順を全生徒に同じ動作として教えていた.統一した手順を教えることが,いざとという時にパニックに陥らずみんなで協力しあって対処出来ることになる.アメリカで生まれた心肺蘇生法のすばらしさは,「意識がなければ助けを呼び,救急車を呼んでいい」と一般市民に教え,社会社会の一般常識にまでになっていることである.「意識と命」,すばらしい「命の危機管理教育」がなされていることに敬意を表するものである.
  日本においては,昭和45年に交通安全基本法が制定され,学校現場では交通安全教育が取り組まれた.しかし,交通安全教育の中心は交通事故防止を目的としており,心肺蘇生法を含めた応急手当の普及啓発は,平成6年度から中学校,高等学校の保健体育の教科および自動車学校の教習教科の中に組み込まれ,消防庁も本格的に住民を対象とした普及啓発を開始したばかりである.
  もともと心肺蘇生法は,心臓突然死(内因性)による心肺停止患者を対象にした救命法で,アメリカで開発されたものである.交通事故現場では,骨折,出血などの外傷に対する応急手当が主で,致命的外傷(外因性)による心肺停止患者の救命は一般住民の域を越えているといえる.
  日本においては心肺蘇生法が交通安全教育の一環として行われている歴史的背景から,アメリカのごとく心臓突然死の救命対策の一環とは異なり,交通事故現場を想定しており,家庭で7割が発生する心臓突然死対策を押し進めるには多少,無理があるように思う.
  命の危機管理教育の原点は,幼少期からの命の教育を家庭,学校,社会がいかに行うかにかかっている.私の幼少期の思い出の中に,蛙を芋ざしにしたり,トンボに糸をつけて飛ばしたりして遊んだ記憶がある.当時町中でも農家があり,近所に飼っていた牛のお尻の穴におもちゃの刀を差し込み,手ひどく怒られたこともあった.こうした幼少期の残忍性は誰しも経験のあることで,異常と言うよりむしろ健全な精神の発育過程における必要悪と思っている.また,小学校2年生の時に祖父を失ったが,家の座敷で家族,親戚が見守る中,死んでいく祖父の姿が今でも脳裏に焼き付いている.隣邦の人々が集まって執り行った葬式の一部始終,夏休みでもないのに葬式で集まったいとこ達と遊んだこと.お通夜の祭壇に飾ってあったバナナを盗み食べた記憶など思い出がつきない.小学校まで氷上郡柏原町で過ごした田舎の思い出は,私の命の感性の中に今も息づいている.
  合理主義のアメリカでは,子供達に牛は人間に食べられて幸福と教え,人間の命が最も尊いと教えている.日本のある小学校で飼育し始めた子豚が,年々大きくなり餌代の経費もかさむため飼っていた学年が卒業する機会に処分する決定をしたところ,生徒および父兄から猛反対が起こった話しを聞いたことがある.毎日の食卓に並んだ豚肉料理を食べていることの矛盾点に気付いていない.「一寸の虫にも五分の魂」と教えられ,この世に生けるものすべての生命の殺生を戒める仏教的風土がまだ根強く残っている日本では,人間の命の危機意識は生まれにくいのかもしれない.死は天命とあきらめる風土があるからである.

続く

Copyright(c) Tsuyoshi Kawamura, M.D.