私の心肺蘇生法の歴史を振り返ってみると、1988年8月にカルフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)医療センターから兵庫県立姫路循環器病センター救命救急センターに勤務した直後から姫路市を中心に心肺蘇生法の普及啓発を開始した。1990年4月からは兵庫県県民運動「命を大切に、あなたも心肺蘇生法を」に発展し、5年間で108万人の実技講習を達成することができた。私個人が関った心肺蘇生法の講演および実技講習会は2000年3月に1000回、受講者総数は5万人に達した。受講者には身体障害者も含まれている。
過去の講習会で経験した受講生の身体障害部位は、全盲、聾唖、下半身麻痺、四肢麻痺、両上肢形成不全、1側上肢形成不全、手指欠損、および関節リュウマチによる関節障害などである。
心肺蘇生法は、目の前で人が倒れた時、「大丈夫ですか」と声をかけ、意識がなければ、すぐさま大声で助けを呼ぶ、人間愛に基づいた当然の行為である。他人の命が危機にさらされている時に人として何ができるかが問われており、身体障害者も例外ではないと考えている。講習会では、個々の身体障害に対応した独自の心肺蘇生法のやり方を伝授している。
心肺蘇生法を生徒に教えた姫路のある高等学校の経験である。
心肺蘇生法の動機づけの話しをしている時に、後方に車椅子に座っている生徒がいることに気付いた。彼を意識して、思いきって「目の前で人が倒れた時には、身体障害があるから助けることが出来なかったと言ってはいけない」と彼に話しをぶつけてみた。話しが終わり、心肺蘇生法のやり方を説明するために一体の人形の周り生徒を集めたが、この時、意外にも彼は自分で車椅子を動かすのではなく友達が押して来た。私の目の前に来て、今度は逆に挑戦的に「私でも心肺蘇生法が出来ますか」と問いかけてきた。
よく見ると、車椅子に下肢、腰、上肢をバンドで固定しており、なんと彼は脊椎損傷にて上肢下肢麻痺で、頭部だけが動かせる状態であった。私は過去にも下半身麻痺の障害者には車椅子から降りて、上半身の支えのみで行う工夫した心肺蘇生法を教えていた経験もあり、彼もてっきり下半身麻痺の障害者と思っており、まさか、上下肢障害がある四肢麻痺障害者とは思ってもみなかった。
一瞬、「しまった」と頭をよぎったが、次の瞬間、「君にも心肺蘇生法が出来る」、「君には目と口がある。目の前で友達が倒れたら、大声で助けを呼びなさい」、「しかし、それだけではダメだ、次に教える心肺蘇生法のやり方をしっかりと頭に入れ、助けに来てくれた友達に正しい心肺蘇生法が出来るように、口頭でやり方を指示しなさい。これが君の心肺蘇生法だ」と言って、一体の訓練人形の頭側に車椅子を移動させ、私のアシスタントの役割を与えた。
後日、校長先生からのお礼の手紙が届いた。この手紙の中に、私が彼に対応した接し方が彼にこれから生きていく力を与えたとの感謝の内容が書かれていた。彼は脊椎損傷を受傷する以前から、もともと自立心の強い人間であり、脊椎損傷の受傷後においても車椅子に身体を縛り付けてでも元の仲間と勉強したいとの前向きの強固な意志を持っており、学校も彼の希望をかなえるようにしていた。しかし、自立心が強い人間であるが故に、これからの人生において周囲の人間の助けなしでは生きていけない自分の運命に悩み、教師もこの解決に答えることが出来なかった。
私が彼に行った心肺蘇生法の指導は、「もし目の前で人が倒れたなら、自分でも人の命を救うことが出来るのだ」という思いが、この世でのおのれの存在の意義として捉え、これがようやく見つけた、彼が生きていく「おのれの自尊心」となった。心の悩みも晴れ、今は生き生きとして学校生活を楽しんでいるとのことであった。
続く |