「あなたは愛する人を救えますか」
河村循環器病クリニック 院長
河村剛史

Vol.33:2002年ワールドカップの命の危機管理体制

  いよいよ2002年ワールドカップの開催が目前に迫ってきた。連日の新聞の報道は、昨年の9月11日のアメリカ同時多発テロ以来、どこの国が優勝するか、日本チームの活躍の予想より、「テロ対策」と「フーリガン対策」の2つの危機管理体制について大きく取上げられている。よりによって世界でもっとも危機管理体制の意識の乏しい日本での開催は皮肉な回り合わせである。これを契機に日本の危機管理意識が醸成されることが期待される。
  しかし、現時点での日本の危機管理体制は、集団災害に対するもので、競技場に集まってくる観客の個人個人の命に対する危機管理体制づくりは遅れている。外国からも40万人の観客が日本を訪れるが、観客の中に心臓突然死が起こった場合の救急体制については主催者側の意識が乏しいのが現状である。
  英国には,サッカー競技場の安全管理について法的権限を持って勧告を行うFLA(Football Licensing Authority)という全国組織がある。各サッカー競技場は,FLAのガイドラインに基づいて,専任の安全管理責任者(ground safetyofficer)を置き,災害防止のための安全管理・災害訓練の実施や観客の傷病に対処するcrowd doctorと呼ばれる救急医の待機が義務付けられている。また,競技場の収容人数に応じて待機する救急車の台数,first aider(基本的な心肺蘇生技術を習得した会場係)の数などが決められている。警察,消防,救急および行政の集団災害に対する危機意識が強く,サッカー競技場の安全管理者と関係機関の交流・連携が平素より密で,共同で訓練が行われている。
  サッカー競技場の安全管理には、オフィシャルボランティアの存在がある。フランスワールドカップの会場内では、数千人のオフィシャルボランティアがフィールドに背を向けて観客席に向かって立っており、試合を見ることなく、絶えず観客に目を向けている光景が見られた。観客の安全管理には、多くの監視する目と異常事態発生後にすぐさま通報できる安全監視体制が必要である。
  わが国では FLAに相当する指導的組織がなく,競技主催者が安全管理を担当するのが慣例となっている。神戸会場を例に上げれば、ウイングスタジアム内ではW杯日本組織委員会(JAWOC)神戸支部と神戸市教育委員会ワールドカップ推進室が,会場周辺はワールドカップ推進室が安全管理を担当することになっている。おまけに大会関係者、VIP、選手に対してはJAWOC本部から派遣されたチームが担当する。これらの組織内には英国のような全体を統括する専任の安全管理担当はいないばかりか、日本の悪しき体質である縦割りの安全管理体制であり、事が起これば各担当者同士が責任のなすり合う構図がすでに見えている。
  救急体制に関しては、スタジアムの4つのウイングに1ケ所の救護所(古風な名前である)が設置され、1名の医師と2名の救急救命士が常駐する。各ウイングには10名の警備員が配置されている。しかし、担当する医師は整形外科を専門とするスポーツドクターで、主に外傷を中心とした体制であり、医師は救護所を離れてはいけないことになっている。
  心臓突然死を想定した命の危機管理体制については、今年に入ってようやくJAWOCが各会場に4台の半自動除細動器(AED)を設置し、救急救命士が現場で使用できる体制を作った。神戸会場では、JAWOC側の設置を含め18台のAEDが使用されることになっている。
  日本では、米国のように訓練を受けた警備員がAEDを使用することが出来ないので、救急救命士が医師の指示のもとで除細動ボタンを押すか、医師が現場に駆けつけて使用することになる。今後、ワールドカップ、オリンピックのような巨大イベントの開催国の選考には、その国の集団災害の危機管理体制と救命救急体制の最低基準を満たすことが要求されることになる。

  続く

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