目の前で突然、人が倒れた時、その人の命を救うには、その場にいたすべての人が一致団結して救命に参加することが求められる。心肺蘇生法の講習会は、訓練人形一体に付き参加者10人を割り当てて全員が参加できるようにしている。実技講習の前の講話は、参加者に心肺蘇生法の習得が人間にとっていかに大切かを感じてもらい、参加者全員が真剣に実技に取り組む心の動機付けとして最も力を入れている所である。
定時制有馬高校から心肺蘇生法の講習の依頼を受けた。校長先生から生徒の中にグループのボスがいるので私の話を聞かず迷惑をかけるかもしれないとの事前の断りがあった。昼間の仕事を終えた30人程の高校生が研修室に集まっていた。予想通り私の話には興味を示す様子はなく、最前列の生徒(問題の生徒とすぐにわかった)は、私の目の前で心肺蘇生法の手順を書いたパンフレットで紙飛行機を折っており、つまらない話はやめろと言わんばかりであった。
話のネタに行き詰った私はこのまま引き下がることはできないと最後の手段に出た。「君たち、真のボスとはどんな人間と思うか」、「真のボスとは、部下が倒れた時、真っ先に駆けつける人間だ」と叫んだ時、思わぬ光景が目に映った。なんとパンフレットで折った紙飛行機を元のパンフレットに戻しているではないか。私の動機付けが成功した瞬間である。実技講習には通称ボスも当然ながら参加した。残念ながら、彼がチューインガムを噛んでいるので、人工呼吸はチューインガムを噛んではできないから口から出しなさいと注意した所、それならやらないと5人の仲間を引き連れて研修室から出て行った。もう一息であった。
もう一つは定時制姫路北高校の話である。60人程の生徒が研修室に集まって、ガヤガヤ騒いでいた。校長先生は私語を制止することもなく、私の紹介をし、すぐにマイクを私に渡した。ガヤガヤ騒いでいる中での講話は実にやりにくいものである。周りの先生の誰もがあきらめた様子で、「やかましい、静かにしろ」と言う人もいなかった。しかし、生徒をよく観察していると話の内容によっては耳を傾ける生徒もいることに気付き、どんな話が彼ら全員を引き付けるのか話術の挑戦となった。
最後の切り札として残していた「真のボスとはどんな人間か」を切り出したが期待した反応はなかった。仕方がないので、彼らには通じないだろうと思って話す予定になかったマザー・テレサの「死を待つ館」の話をした所、意外にも私語が消え耳を傾けている雰囲気が伝わってきた。誰も看取られず死んで行くこの世で最も不幸な人に、「生きていてよかったね」と耳元で語りかけたマザーの言葉を伝えた時、「この世に生まれた命に無駄な命は一つもない」とのマザーの心の叫びが彼らに伝わったような気がした。伏せ目がちであった彼らの目が輝いた瞬間であった。
心肺蘇生法の講習も終わり、生徒たちは思い思いにガヤガヤ喋っている最中に、教頭先生がマイクを持ち、「みんな、聞いてくれるか」と話しかけた瞬間、生徒が一斉に視線を教頭先生に向けた。教頭先生が、小さい時に可愛がってもらった近所の小父さんが、目の前で自動車にはねられ、声をかけることしかできずに腕の中で死んでいった過去の心に秘めた経験を話し始めた。何もできなかったことを今まで後悔していたが、今日の私の話で心が救われたとも言われた。
数週間後、生徒の講演感想文とともに教頭先生の手紙が届いた。感想文の中に、「自分はこの世ではどうでもよい人間と思っていたが、自分でも世の中で役に立つことがある。それは倒れた人に声をかけることである」と書かれた文書があった。彼は、この世に生まれ、世に役に立つことが、自己の存在の意義であり、生きる力であることを悟ったのかもしれない。手紙の最後に、生徒に呼びかけた時に彼らが一斉に向けた視線と過去の話をおとなしく聞いてくれた感激は忘れられないと感謝の言葉が添えられていた。
続く |