「あなたは愛する人を救えますか」
河村循環器病クリニック 院長
河村剛史

Vol.38:危機を知らせる大声がいる

  2001年6月8日に大阪教育大学付属池田小学校で起こった児童殺傷事件の犯人宅間守容疑者の公判が行われている。この事件を契機に、外部からの不審者の侵入を防ぐために校門が閉鎖され、学校内にはモニターカメラが設置される学校が多くなった。池田小学校では、あまりに悲惨な事件により精神的障害を蒙った児童のみならず愛するわが子を失った家族のPTSD対策が大きな課題として残っている。
  大教大付属の池田高校自治会から事件後一周忌を迎える今年の6月8日に私に講演をしてほしいとの依頼があった。池田高校では、以前から学園祭が企画されていたが、この事件のために中止となった。しかし、学生自治会からこの機会に命の問題についての講演会を開催しようとの企画が持ち上がり、私に白羽の矢が当たったのである。どうして私を指名したのかと聞いたところ、自治会長はインターネットサーフィンで「命の尊厳、心肺蘇生法、命の危機管理」を入れて検索したところ、河村剛史の名前が多く見られたのでお願いしたとの返事であった。自治会長の情報検索と依頼の経緯にも感心した。
  今まで講演の依頼があればできるだけ時間の都合をつけ応じることしている。しかし、この講演だけは学生自治会の自主的講演会とはいえ、一周忌追悼式が行われている同じ日に「命の危機管理」についての講演を行うことは勇気のいることである。マスコミの反応も気になり、話題を呼ぶことになるが逆効果となることもあると悩んだ末に断った。
  私は常日頃から、心肺蘇生法講習会をとおして技術よりもむしろ危機を知らせる大声の大切さと、それを聞きつけた時には何をさておき現場に駆けつけるという「命の危機管理」の大切さを指導してきた。
この事件が起こる前に私の心肺蘇生法の講習会を受講されていたならば、生徒の命の危機に際し、一人の職員が「助けて」と大声で叫べば、全員が「どうしたのだ」と現場に駆けつける体制が強化されていたと思う。危機に直面したとき大声を出す勇気と誰もが駆けつけることが危機対応マニュアルの基本である。別の言い方をすれば、一人の命を全員で守ることが「命の危機管理」である。類を見ない凶悪な事件ではあるが、「同時に一人でも多くの職員が宅間被告と対峙することができていれば・・・」と思うと心が痛む。
  題名は忘れたが、警察署長が自分の犯した殺人の罪から逃れるために無実の人を凶悪犯にしたて追跡する米国映画を思い出した。逃亡生活の最後に米国東部の妻の実家に逃げたが、ここは古い戒律を守り、ランプで生活している地域であった。警察署長が馬小屋の前に無実の人を追いつめ、証拠隠滅のため銃で撃ち殺そうとした時、子供が家の玄関の前に吊り下げられている鐘を打ち鳴らしたところ、周辺の畑で農作業していた住民全員が鍬や鋤を打ち捨てて鐘が鳴っている家に集まって来た。さすがの警察署長も多くの住民の前で丸腰の無実の人を撃ち殺すことはできず、駆けつけた警察官に取り押さえられ、ようやく無実の罪が晴れたというストーリーであった。昔ながらの生活を営んでいる運命共同体における危機管理は、危機を知らせる鐘の音であり、この音を聞けばすべての作業を中断し、その家に駆けつけることであった。
  「お互いの命を守る社会づくり」とは、「誰か来て」と助けを求める叫び声が聞こえれば、仕事を中断して「どうしたのだ」と駆けつける地域社会の基本ルールづくりである。心肺蘇生法では、目の前で突然人が倒れたなら、意識の確認をし、意識がなければできる限りの大声で「誰か来て」と叫ぶことが命の危機を知らせることになる。講習会では大声で必至に助けを求めることの重要性を特に強調し、受講者には今の日本人に忘れかけている大声を出す訓練をしている。

 続く


Copyright(c) Tsuyoshi Kawamura, M.D.