「あなたは愛する人を救えますか」
河村循環器病クリニック 院長
河村剛史

Vol.39:子供に対する親の絶対愛

  2000年11月に児童虐待防止法が制定されたが、兵庫県でも2001年8月13日の尼崎市で小学1年生の虐待死事件を契機に「児童虐待防止プログラム」を作り、虐待防止強化に乗り出した。2000年の全国の児童相談所での児童虐待相談件数は18,804件に上り、さらに急増傾向にある。虐待者の62%は実母、24%は実父である。親の子に対する誠の愛情(絶対愛)があれば体罰もしつけとなる。しかし、最近の児童虐待事件は、その根底に経済困窮や家庭内暴力などがあったとしても、親の短絡的な鬱憤晴らしのように思えてならない。たとえ、虐待死に至らなく運良く児童相談所に保護されたとしても、脳の発育に最も大切な「臨界期」に受けた精神的、肉体的障害は生涯にわたり癒えない心の傷を残す。
  人間の出産は、脳が発育し頭部が大きくなりすぎれば狭い産道を通ることができなくなるので、大きくなる前の脳神経学的には未熟な脳のままで生まれざるを得ないのである。そのために新生児では自力で歩くことも食べることもできないが、出産後に脳は急激に成長し、生後1年半ではほとんどの幼児が歩き出し、話しをし、自分で食べることができるようになる。この間、新生児では約330gにすぎなかった脳の重さが、2歳児で3倍の940gに急速に増加する。
  新生児の脳には3兆個ものシナップスがあるが、脳の発育過程において、最初にシナップスを多めに作っておいて後で減らす「シナップスの過形成と刈り込み」による調整を行う。成長の過程で繰り返し使われるシナップスだけが強化、固定化され、使われないシナップスは失われて大人になるまでにシナップスは半減し、やがてシナップス形成されなかった神経細胞は死滅する。
  人間にとって脳の発育に環境因子が大きく影響を及ぼす10歳までの時期を「臨界期」といい、この期間に人間の脳は環境とキャッチボールをしながら育つのである。子供の健全な脳の成長には、両親、兄弟姉妹といった家族愛、学校での教育、教師や友人との出会いなどが大切なのである。
  1920年にインドのベンガルで、生後まもなくオオカミにさらわれ、保護されるまでの7年間オオカミの子と一緒に育った"オオカミ少女"の話が「臨界期」の重要性を物語っている。孤児院に引き取られ、カマラと名づけられた少女は、養い親のシング牧師夫妻の献身的な愛情のもとで人間として生きていくことになった。
  しかし、臨界期をオオカミとして育ったカマラの脳神経ネットワークは"オオカミ型"にすでに形成されており、"人間型"に変換するには容易ではなかった。四つん這いで歩き、手は獣の足の役目をはたし、物をつかむには手でなく口を用いた。水を飲むにはイヌのようになめて飲んだ。保護者の手から直接手から食べ物をもらうようになるのさえ保護されてから一年後であった。やがてカマラは人間としての脳が育ち、このやさしい養母になつき、信頼し、愛するようになり、次第に言葉も覚え、歌をうたい、着物を着るようになった。しかし、カマラは保護されてから10年後の17歳で死ぬまで、2歳児のようなヨチヨチ歩きで、言葉も不十分のままだったという。生まれてきてからの数年間に周辺環境から獲得した基本的な能力がその人の全生涯に影響した実例である。
  母子保健事業として、乳児・1歳6ヶ月・3歳児健診が行われているが、この際に親に対して乳児・幼児の「いざという時の救命処置のやり方」の実技講習を取り入れることを提案している。乳児・幼児に対する救命処置を学ぶことにより、子供の命を守るのは親の責任であることを自覚することが児童虐待防止の第一歩と考えている。
  子供が病気になっても危険な状態か、危険でないかを判断できる医学の基本知識を身につけられるように子育ての中で必死に学ぶことが親の体験学習である。病気になった子供を安心させる親の自信を持った命の言葉の中に、子供は絶対的信頼をよせ、親の絶対愛を感じるのである。逆に子供の命を見つめる親の不安と心配が子供への父性愛、母性愛を深めるものと思う。

 続く 

Copyright(c) Tsuyoshi Kawamura, M.D.