アメリカのように銃社会で,生活の中に「命の危機意識」がある社会では,突然死に対する心肺蘇生法も市民に受け入れやすい環境がある.しかし,日本のように「命の危機意識」の乏しい国民に,どのように「命」を感性に訴えることが出来るかが非常に難しい課題であった.
このころの講習会のやり方として「全員参加の実技指導」を原則として,受講者10人に対して1体の訓練用人形とし人数分の人形集めに努力した.同時に講習の最後には参加者一人一人が全員の前で正しく手順を行えるかのチェックを行い,全員が合格するまでの徹底指導を行った.いざという時に心肺蘇生法を自信をもってやれる人を養成する方が,不完全な指導で自信のない人を多数養成するより役立つと考えたからである.
この噂を聞いたある小学校の教頭先生から「先生は合格するまで徹底的に指導するきびしい方とお聞きし,一度本校の教員を教えてほしい」との講習会の依頼が来た.学校を訪問すると,電話の主である45歳前後の教頭先生と20人程度の若い先生方が体育館に集まっていた.アメリカの心肺蘇生法の話をした後,実技練習を2回行い,全員の前で約束通り一人づづ本番演技を合格するまで行った.最初に演技した教頭先生は,見事失敗し,その後も何度も演技に失敗した.合格した若い先生方の特訓の成果により最後に合格し,笑い声と大きな拍手が湧き上がった本当にさわやかなお互いの心が潤った講習会となった.何度も失敗し,先生方の前で恥をかきながらも最後までやり遂げた教頭先生に敬意を持った.
講習会の後,教頭先生から新任教師の時,一人の生徒を失った過去の話しを聞いた.「この時,私が出来たのは生徒を抱き抱え,大声で名前を泣き叫ぶことしかできなかった」,「いまでもこの腕の中に生徒の身体の形を覚えています」と語られた時,今まで私が全く感づいていなかった真理が脳裏を走った.「そうなんだ.目の前に倒れた生徒の“命を惜しむ心”なしには,心肺蘇生法なんて有り得ない」と悟った.「なんでこんなことに気づかなかったのか」,「愛する人の命を必死になって助けようとする行為こそが心肺蘇生法なのだ」,「大声で助けを呼ぶことだけでも立派な心肺蘇生法である」との心の叫びを聞いた.この時から,どんな人の前に立っても「命とは行為なり」と信念を持って語ることが出来るようになった.これが以後800回の講習会を支えている私の信念である.
心肺蘇生法は人間愛に基づいた行為であり,キリスト教の精神風土に育ったものである.今年の9月に87歳で亡くなったマザー・テレサは,生涯にわたり人間愛を自らの行為で示した人であった.カルカッタの修道院が“死に行く館”と陰口を言われた有名なエピソードが残っている.当時,貧困に喘いでいたカルカッタでは,毎日のように行き倒れの人が路上に横たわっていた.
マザー・テレサは修道女と外に出かけ,今にも死にそうな人を修道院に収容し,身体を拭き,衣服を着替えさせて手厚い看護を行った.この行為を理解できない周辺の人々は,「なぜ死にそうな人ばかりを看るのか」,「もう少し元気な人なら助かるのに」,「だから修道院が死に行く館と言われるのだ」などと,陰口をたたいた.この時,マザー・テレサは,「私は,何もしておりません.ただ,口元に水をさしあげながら,生きてて良かったねとささやいているだけです」と答えられた話しが伝わってきている.誰も看取られず死んで行くこの世で最も不幸な人に,「生きててよかった」と言えるマザー・テレサの言葉の中に,この世に生まれた命に無駄な命は一つもないと言い切った底知れない人間愛を感じた.
大学卒業後,世界一の心臓外科医を目指して,心臓外科のメッカであった榊原仟教授率いる東京女子医科大学附属日本心臓血圧研究所外科の門を叩いた当時は,心臓手術の成績も悪く,多くの手術患者の死を経験した.集中治療室で心電図モニターを見つめながら心臓が止まる瞬間(心臓死)を死と判断していた私は,いつしか人間の死を単なる生物学的死として客観的(科学的)にとらえる習性が出来上がっていた.
心肺蘇生法に接し,マザー・テレサを知り,人間の死は単なる生物学的死ではなく,人それぞれの生まれてからの人生が刻まれた生涯の終着駅であると思うようになった.だからこそ,目の前に倒れた人に声をかける勇気が人間愛であり,人の命を尊ぶ行為であると訴え続けているのである.
続く |