「あなたは愛する人を救えますか」
河村循環器病クリニック 院長
河村剛史

Vol.54:命は地球生命体から授かったもの

  今、火星探査車スピリッツ号とオポチュニティー号が火星に水分が存在していることを確認するため探査中である。水分の存在こそが生命をはぐくむ"ゆりかご"である。
  137億年前に宇宙が誕生し、46億年前に地球が誕生した。36億年前に海中に生命(バクテリア)が誕生し、6億年前の脊椎動物の誕生を経て、200万年まえに人類が誕生し、現在、63億人の人間がこの地球上で生活している。
 地球上には多くの生き物が共存しており、この無数の生命維持の営みが地球環境を一定に保つ役割を果たしており、これを総称して"地球生命体"と呼んでいる。海水の塩分濃度や大気中の酸素濃度が一定に保たれているのも地球に生命が存在するからである。
  中学校での「命の教育」講演会では、講演の始めに「命は誰のもの」と生徒たちに質問をする。大部分の生徒は、「自分のもの」に決まっているではないかと いう顔をする。この質問を欧米の生徒にすると、ほとんどが「神のもの」と答える。私は、「科学者の立場から"地球生命体"のもの」と答えている。
  貝原益軒(1630年−1714年)の「養生訓」には、「人の身は、天地父母のめぐみをうけて生まれ、又養はれたるわが身なれば、わが私の物にあらず。 天地のみたまもの」と書かれている。命は天地、すなわち"地球生命体"からの授かりものではあるが、授かった命を使って生きた人生は自分のものであるとも 書かれている。
  命を授けた天地に感謝することは父母に感謝することであり、江戸時代の朱子学では親への孝行が主君への忠義、武士道となり、やがて、国に忠義をつくす軍 国主義に変貌を遂げたのである。現在のイラクにおける多くの自爆テロは、自分の命は神のものと信ずればこそ神のために死ぬことができるのである。彼らを殉 教者として崇められても、残された家族の悲しみは相手に対するもっと強い憎しみに増幅し新たな殉教者を生み出す土壌となる。
 命が"地球生命体"から授かったものならば、まず、自分の命をかけがえのない宝として大切にし、有効に生かすことが、世に誕生もしなかった多くの命に報 いる使命である。自分の命を大切に思う心があればこそ、他人の命を尊び、他人の命を守る勇気が生まれるのである。だからと言って、自分の命を捨ててまでも 守らなければならないものは地球上には存在しない。命は生かして使ってこそ輝くものである。
  心肺蘇生法の普及、さらにAEDの普及には「お互いの命を守る社会づくり」が社会の共通理念になければならない。この理念の醸成には、まず家族愛に訴え、隣人愛、職場愛、地域愛、社会愛、人間愛へと"愛"の輪を広げていくのが私の行動戦略である。
  先日、岸和田市で起こった中学3年生に対する1年半にわたる実の父親(40歳)と内妻による虐待事件は、社会を更に暗くするショッキングな事件である。 虐待を受け、餓死寸前の子供を部屋に閉じ込めて内妻の子供と3人で一緒に生活している異常さには恐ろしさを感じる。まさに、映画「シンドラのリスト」に描 かれたホロコーストの世界を思い起こす事件である。
  一家のマンションからは、子供を殴る物音や悲痛な叫び声、親のどなり声が頻繁に響き渡っていた。耐えかねて引っ越した住民もいたという。近所の人も叫び 声を聞いても他人の家のことだからと無視をする無関心、無干渉社会が周囲に存在しているのも大きな問題である。虐待の兆候を感じ取れない児童相談所の職員 の専門家としての資質も疑う。
  今の社会に蔓延しているのは、生活習慣病よりも恐ろしい無関心病であるかもしれない。「お互いに命を守る社会づくり」とは、社会全体が一人の命を守る監視体制づくりでもある。

 続く


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