2004 年6月1日に起こった長崎県佐世保市の大久保小6年御手洗怜美さん殺害事件は日本中を震撼させた。当初は加害者が同級生の女児(11)であったことに驚い
たが、次第に新聞紙上で明らかにされた事実は単なる発作的犯行ではなく、計画的殺人であった。しかも、殺害方法も背後から目隠しをして右頚動脈をカッター
ナイフで切断し、死んでゆく様を見届けるという残忍さであった。今回の殺害事件には、学校内で同級生を殺し合う小説「バトル・ロワイヤル」の影響を受けた
とも言われているが、架空の世界と現実との区別がつかない精神状態の未熟性も感じる。
こうした事件が起こるごとに社会は「命の教育」の重要性を訴えるが、実際にどのような具体的な教育が必要なのかを真剣に討論し、実行に移されているとは
思えない。こうした事件の背景には、現在の社会世相が反映しており、学校教育だけに問題があるのではなく、日本人一人一人が無関心であってはいけない行動
の時期に来ている。
過去に心肺蘇生法の実技講習のために訪問した学校は約400校になるが、この中で有数の大学進学校である高等学校の校長先生から「生徒から教えられたことがある」と教育者として反省の意を込めて話されたことを思い出す。
当時(15年前)、3年生で学業トップの女子生徒が進路相談を受けた際、将来、看護婦(師)になるために看護大学に行きたいと希望を述べた所、担任の先
生は「君のような優秀な人は、医学部に行ったほうがよいのではないか」と反対した。母親も看護婦になることを反対した。その理由は、母親が看護婦で、仕事
のしんどさを一番知っており、娘がよりによって同じ道を進むことに反対したのである。
女子生徒は、周りの説得にもかかわらず自分の意思を貫き、学校推薦により看護大学に進んだ。推薦入学の書類の中で彼女が書いた看護婦を目指す動機は、有名大学への合格数ばかりを考えていた先生たちに本来の教育のあり方を教える内容であった。
小学校5年生の時、母親に連れられて武者行列を見に行った時の思い出が書かれていた。目の前に通りがかった武者が突然、倒れた時、母親が自分の手を振り
切って武者に駆け寄り、心肺蘇生法を必死に行っている母親の姿を見た。この時、大勢の群集の中で母親が何を武者に行っているかは理解できなかったが、心の
中に「お母さんはすごい人である」との印象が深く刻み込まれた。この時から「将来、お母さんのようになりたい」と心に決め、学業に励み母親と同じ道を選ん
だのである。
母親は、看護職に徹するがゆえに家庭は父親との共同作業で、運動会、参観日も勤務を代わってまでも参加することはなく、子供にとって良い母親でないと常
に自責の念を常に抱いていた。病院の婦長(師長)であった母親に娘さんの志望理由を話した所、子供から自分にとって天職である看護職をこのような形で理解
されていたことを知り、感激のあまりその場で泣き崩れた母親の喜びの姿があった。子供にとって親は最も身近な大人の社会人であり、社会を見る窓口である。
教えられなくても他人の命を救おうと必死の母親の姿を見たことが「命の教育」であった。
兵庫県立健康センターで毎年行っていた心肺蘇生法500人講習会に親子連れ(2,3歳の幼児も)で来てほしいと訴えていた。親が真剣に心肺蘇生法の訓練
を受けている時、子供は親の傍を離れず真剣に親のやっていることを眺めているものである。時には、一緒になって心肺蘇生法の真似をする幼児もいる。こうし
た環境づくりも「命の教育」と考えている。
続く
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