「あなたは愛する人を救えますか」
河村循環器病クリニック 院長
河村剛史

Vol.71

危機を知らせる声があった:
令和6年能登半島地震、 LAL衝突事故

 2024年(令和6年)1月1日16時10分にM7.6の能登半島地震が起こった。翌2日17時47分には羽田空港C滑走路にて救援物質を搬送する海上保安庁輸送機と着陸中のJAL516機とが衝突事故が発生した。
 能登半島大震災発生後にテレビの正月番組は震災報道に切り替わり、NHK山内泉アナウンサーが、「津波の恐れがあります。直ちに高台に避難してください」、「東日本大震災を思い出したください」などと絶叫が耳に残った。まさに「ことばで命を守る」呼びかけであった。
 炎に包まれたJAL機からの乗客乗員379名全員の脱出成功は、「奇跡の脱出」と評価された。この成功のカギは、乗務員の「脱出時の90秒ルール」の訓練のたまものであり、乗客の荷物を持ち出さずに速やかな脱出誘導に協力した2点が上げれている。窓の外の燃え盛る炎、客室内に漂う白煙の中、「その場に身をかがめてください」とCAの声が響き渡っていた。
 米国留学中に経験した1986年1月22日に松江で行われたバレーボール試合中にフロー・ハイマン選手が控えのベンチで倒れ、その一部始終がテレビ放送された時、「なぜ日本人は心肺蘇生をしないのか」と周りの人から非難を受けた。その時に、日本人には「命の教育」がなされていないことを痛感した。
 日本に帰国後、1988年から心肺蘇生法普及を始め、「意識の確認=命」の啓発を行った。「あなたは愛する人を救えますか」をキャッチコピーに兵庫県県民運動(1990年年度から1994年度)に発展した。550万県民に対して受講者105万人を達成できたが、意識の啓発にはつながったが、「命の危機」には物足りなさを感じた。
 1995年1月17日の阪神淡路大震災を経験し、「意識=命」の啓発に不足しているのが、「危機を知らせる声」であることに気づき、それ以後、意識がなければ、大声で叫び、命の危機を知らせることに啓発の主眼を置いた。
 心肺蘇生法は、「個人の命の危機」に対して、大声で助けを呼び、パニックの中で適切な指示をする訓練である。地震では津波の危険性を知らせるため大声で叫ぶ手段である。
 JAL機内の乗務員の声は、「集団の命の危機」に対してパニックに陥った乗客のパニック・コントロールとなった。
 今回の能登半島地震では、テレビから住民に危機を知らせる「命を守る声」があり、JAL衝突事故では、パニックに陥った乗客を適切な指示を与える声が命を救ったと思う。

続く

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