心肺蘇生法の普及啓発を始めたきっかけは、米国留学中の1986年1月22日、松江で行われたバレーボール試合中にフロー・ハイマン選手が突然死で死亡したニュースを見た米国の人達が、「何故、日本人は心肺蘇生法をしないのか」と批判したことが始まりです。
心臓患者の多くの救命を経験しているにも関わらず、ハイマン選手が控えのベッチで突然倒れ、試合が中断されることもなく担架で会場から運び出される光景を見て、米国人が心肺蘇生法を叫んだことが理解できませんでした。
米国では、心筋梗塞による心臓突然死対策として1972年から学校教育で心肺蘇生法が教えられていることを知り、ミドルスクールでの心肺蘇生法の講習を見学して疑問が解けました。教育現場では、意識を確認し、意識がなければ救急車を呼ぶ「命の教育」がなされていました。帰国後の1987年から日本人は教えられていない「命の教育」の普及啓発のために心肺蘇生法の普及活動を始めました。 ラジオ放送と放送原稿
俳優の阿藤快さん(享年69歳)が11月15日に大動脈破裂胸腔(きょうくう)内出血で亡くなった。
平成15年(2003年)6月に「兵庫県において一般市民によるAED使用」を求める構造改革特区申請を行い、平成16年(2004)7月から全国において一般市民によるAED使用が認められることになった。今や全国で30万台以上のAEDが設置されている。
ガイドラインは改定ごとに単純化され、AEDを使用すれば誰にでも救命できる簡単な手順になっているが、目の前で人が倒れて時、まず、「大丈夫ですか」と声をかける勇気がなければ命は救えないことを銘記すべきである。
今の日本人に求められるものは、声をかける「勇気」、命を感じる「必死さ」である。
平成14年 平成13年 平成12年
平成11年 平成10年 平成09年